.
第1
章︵
続︶
.
・
・
・
﹁
はぁ
﹂
.
・
・
・
と、
美也子はため息をついた
。
なんだか
、
もう、
とっ
ても疲れた
。
何度となく、
は
ぁ
、
とため息ばかりが出てしまう
。
﹁
はぁ
﹂
.
ゆ︱
こはあれから少し行
っ
たところで、
図書館に返す本があると
のことで
、
美也子とは反対の方角へと帰
っ
てい
っ
た。
.
彼女と別れ、
彼女の姿が見えなくなると
、
途端に美也子は
、
どっ
と疲れを感じ
、
ずど︱
ん
、
と落ち込んだ気分にな
っ
た。
.
おかげで一人で歩き出しても
、
出てくるのは
、
ため息ばかり。
﹁
はぁ
﹂
﹁
美也子ちゃ
ん、
どうしたの
?
﹂
.
ふいに・
・
・
.
ふいに、
美也子の通学カバンの端の
、
ふたの下から
、
なにかが、
ち
ょ
こん、
と顔をのぞかせた
。
.
それは、
カバンの中にす
っ
ぽりと納まっ
てしまうぐらいに小さく
て
、
つやつや、
てかてかとしていて
、
それでいて
、
触ると、
ふにゃ
ふに
ゃ
、
とマシュ
マロみたいに柔らかそうで
、
明るいピンク色をして
いた
。
.
美也子はちらっ
と手に持
っ
たカバンの端へと目を向け
、
﹁
だめよ、
トトプト、
誰かに見られるじ
ゃ
ない
﹂
﹁
平気だよ﹂
と、
その、
トトプト
、
と呼ばれた﹃
なにか﹄
は答えた。
.
カバンのふちに、
ぷに
っ
とした手をかけ、
頭を乗り出している
。
.
その、
ちょ
こんとした小さな目で辺りをき
ょ
ろきょ
ろ、
きょ
ろきょ
ろ、
と眺めた。
﹁
だっ
て、
ほら、
周りにあるの空き地ば
っ
かりだよ
。
誰もいないし﹂
.
確かにそのとおりだっ
た。
.
周りには誰もいない。
少し前まで
、
ゆ︱
こと歩いていた場所とちが
い
、
ここは住宅街の中ではなか
っ
た。
.
そのうち住宅が新築される予定の空き地が
、
一面にどこまでも続い
ている
。
その中の一本道
。
.
美也子は後ろを振り返り
、
前を見つめた。
後ろにも
、
前にも、
誰もいない
。
まっ
すぐにず
っ
と続いている道を歩いているのは自分一
人
。
﹁
うん、
まあね﹂
と美也子は言
っ
た。
﹁
でもね
、
トトプト、
気をつけてね
﹂
﹁
うん、
わかっ
てる﹂
.
トトプトは、
えいしょ
、
っ
と小さなぷにぷにの手に力を込めて
、
カバンのふちから身を
乗り出した
。
.
こぶのようになっ
ている体の背中の部分を
、
ぷるぷると揺らし
、
ぽに
っ
としたお顔を、
ふるふると揺らす
。
.
そのまま、
カバンのふちから
、
ふわっ
と飛び上が
っ
た。
.
美也子のすぐ目の前の空中に
、
手足を伸ばして
、
ふわふわ、
ふわふわ
、
と浮かんだ。
﹁
えへへ﹂
﹁
あ、
こら、
トトプト
!
﹂
.
美也子はあわてて、
辺りをき
ょ
ろきょ
ろ。
﹁
ちょ
、
ちょ
、
ちょ
っ
と
、
いくらなんでもだめよ
。
遠くからでも、
誰かに見られたらどう
するのよ
ぉ
﹂
﹁
だいじょ
うぶ、
だいじ
ょ
うぶ﹂
.
トトプトは後ろ向きに
、
くるっ
と大きく一回転
、
空中にふわっ
と大きな円を描いた
。
﹁
ぼくたち、
ぷりんてぃ
ん、
はね、
もし人間に見られても
、
見られたくないときには
、
いくらでも姿を見えなく
することが出来るんだ
から
。
言っ
たろ?
﹂
﹁
あっ
・
・
・
﹂
.
そうだっ
た。
そういえば
、
はじめて会っ
たときに
、
そんなことを言
っ
てたっ
け。
.
でも・
・
・
.
それでも、
美也子はなんとなく落ち着かず
、
何回か辺りを見回さず
にはいられなか
っ
た。
﹁
えへへ﹂
.
トトプトはそんなことにはお構いなしに
、
右に行
っ
たり、
左に行っ
たり、
くるっ
と前回りに回
っ
たり、
くるる、
くるる
、
っ
と後向きに回
っ
たり、
空中にいくつも
、
いくつも、
大きな円を描いた
。
.
その向こうを一匹の大きな蝶
々
が、
ぱたぱた
、
さぁ
ぁ
ぁ
ぁ
っ
と横切
っ
ていく。
.
やれやれ、
と美也子は思
っ
た。
.
トトプトは春の陽射しを全身にあびながら
、
本当に楽しそう
。
.
にこにこ、
にこにこ、
と笑いながら
、
さぁ
ぁ
ぁ
ぁ
ぁ
ぁ
︱
、
くるくる、
くるくる
、
くるるん、
くるり
、
と空中を飛び回
っ
ている。
.
一日中、
カバンの中にいたんだから
、
仕方ないか
・
・
・
.
その姿を見ていると、
美也子はもうそれ以上
、
なにも言う気にはなれ
なか
っ
た。
.
体の前で通学カバンを両手で持ち直すと
、
ふ
︱
っ
と軽い吐息をもらした
。
.
トトプトは本当に楽しそう
。
.
やれやれ・
・
・
.
それにしても、
と美也子はち
ょ
っ
とだけ首を左に傾けながら
、
思っ
た。
.
あ︱
、
それにしても、
どうしてこういうこと
にな
っ
ちゃ
っ
たんだろう
?
.
・
・
・
.
三週間前︱
︱
.
その日の夜、
美也子は自宅二階にある自分
の部屋で
、
ラブレタ︱
を書いていた
。
.
文房具屋さんで買っ
てきた
、
スミレの花の透かしの入
っ
た薄い黄色の便箋
。
.
勉強机を前に椅子に座り
、
そこに一文字一文字
、
ペンで言葉をつづ
っ
ていく。
相手はあこがれのサ
ッ
カ︱
部のキ
ャ
プテン。
.
と、
いっ
ても、
じつはそんなに大まじめな
わけでもなか
っ
た。
ちょ
っ
とした遊び心。
.
サッ
カ︱
部のキャ
プテンはたしかにハンサ
ムで
、
女の子たちの人気も高く
、
美也子もそれなりに
、
いいな、
かっ
こいいな、
とは思っ
ていた
。
思っ
ていたけど
、
かるく思っ
ていただけ
。
.
ただ単になんとなく、
この日の昼間
、
少女マンガを読んでいたら
、
あこがれの先輩にラブ
レタ
︱
を書くシ︱
ンがあ
っ
て、
なんとなく、
なんとなく
、
自分も主人公の女生徒のように
、
﹃
ラブレタ︱
﹄
、
なるものを書いてみたくな
っ
ただけのことだっ
た。
.
取り立てて、
適当な相手もいないので
、
とりあえず話をしたこと
もないサ
ッ
カ︱
部のキャ
プテンが相手となっ
た
。
.
もちろん、
書き終えたら
、
机の引き出しに入れて
、
なんとなく﹃
そんな気分﹄
になっ
て
、
ふぅ
、
と一人、
窓辺の揺れるカ
︱
テンを眺めながら
、
甘いため息をつければ
、
それでよか
っ
た。
.
よかっ
たはずなのに・
・
・
はずなのに、
なんだか
、
凝っ
た言葉を書きつづ
っ
ているうちに
、
意味もなく切ない気持ちにな
っ
ていた。
.
・
・
・
﹃
好きです﹄
﹃
愛してます﹄
﹃
前から見てました﹄
﹃
あなたを思うと夜も眠れません
﹄
﹃
つきあっ
てください﹄
・
・
・
.
ふぅ
、
と美也子はペンをとめて
、
ため息をついた
。
.
もしこれが本当のラブレタ
︱
だっ
たらな︱
、
という気持ちにな
っ
た。
本当のラブレタ
︱
だっ
たら
、
もっ
と、
もっ
とすてきなのに
・
・
・
.
美也子は頬杖をつき、
右手の窓辺のカ
︱
テンを見つめた
。
.
開いた窓、
表から吹いてくる風に
、
カ︱
テンはさらさら
、
さらさらと揺れている
。
.
あ︱
あ、
私もかっ
こいい彼氏がほしいな
︱
。
.
美也子はぼんやりと思
っ
た。
.
そしたら、
毎日、
駅前のケ
︱
キ屋さんに寄っ
て、
二人で楽しくおし
ゃ
べりするのに・
・
・
.
カ︱
テンはさらさら、
さらさらと揺れている
。
.
美也子は自分でも気がつかないうちに
、
ぽつり
、
とつぶやいていた
。
﹁
あ︱
あ、
.
.
私も愛がほしい﹂
.
・
・
・
.
・
・
・
・
・
・
.
と、
.
その瞬間。
.
ざざっ
と、
ふいに窓の外からものすごい強
風が吹き込んできた
。
.
えっ
?
.
カ︱
テンがぶわっ
と吹き上がり
、
ばさばさ、
ばさばさ
、
と揺れる。
.
風は美也子の顔にも吹きつけ
、
きれいにすいていた髪も
、
ばばば、
ばさ
っ
と吹き上がっ
た。
﹁
きゃ
っ
﹂
.
美也子は思わず頬杖をはずし
、
目を閉じていた
。
.
すぐに風の気配はなくなる
。
.
彼女が恐る恐る目を開くと
、
風はもうもとの通り
、
静かなものに戻
っ
ていた。
.
カ︱
テンがさらさら、
さらさらと揺れている
。
.
美也子は、
ふ︱
っ
と息をついた
。
ごくっ
と唾を飲み込む
。
.
い、
いまの・
・
・
いまの
、
な、
なんだっ
たんだろう
?
.
いまのすごい風
・
・
・
?
.
ふ︱
︱
っ
、
ともう一度
、
息をついた。
心臓はどきどき
、
どきどき、
としていたけど
、
ようやく気持ちが少しだけ
落ち着いた気がする
。
.
なんだかちょ
っ
とだけおかしくな
っ
て、
くす
っ
と笑っ
た。
.
も︱
、
へんなの。
.
くすくす、
くすくす、
と笑
っ
た。
.
やれやれ・
・
・
.
正面に・
・
・
机の上の便箋の方へと向き直
っ
た。
.
と、
そこには・
・
・
.
えっ
?
.
そこには、
なんだか、
つやつや
、
てかてか、
とした
、
でも、
どこか、
ぷにぷにとした
、
見なれない
、
﹃
なにか﹄
がいた。
.
その小さな、
﹃
なにか
﹄
は、
ピンク色をしていて
、
便箋の上で、
すく
っ
と、
短い後ろ足で立ち上がると
、
どこか
、
おずおず、
おずおずとした様子で美也子
を見上げた
。
.
その小さな二つのお目
々
と美也子の目が・
・
・
目と目がまっ
すぐに合う
。
﹁
あ、
あの・
・
・
愛をお届けにきました
﹂